カラカウア王について今まで教えられたことは全て忘れたほうがいい。それはネイティブハワイアンの学者のケアヌ・サイさんが、カラカウア王を修士論文の題材にするという従兄弟のへアロハ・ジョンストンさんに与えた忠告だった。サイさんは若い学者のジョンストンさんが、酔っ払いの暴君で浪費家であり、ハワイ王国の汚点であったかのようにカラカウア王のイメージを歪めた植民地主義のプロパガンダによる記録に惑わされるのではないかと恐れたのだった。カラカウア王は賢い人だったと思う、というジョンストさんの言葉を聞いたサイさんは「そう信じるなら、是非やってごらん!」と諸手を挙げて賛同してくれた 。
それから10年後の2015年、ジョンストンさんは90年におよぶホノルル美術館の歴史上初のアート・オブ・ハワイ・キュレーターになるため、当時の館長であったステファン・ジョスト氏とインタビューしていた。その席でジョスト氏に「もしあなたが美術展を企画するとしたら、どんなテーマにしますか?」と尋られた彼女は、1874年から1891年にかけてのカラカウア王朝のアート展だと答えた。その答えに驚きながらも関心を持ったジョスト氏は結果的にジョンストンさんを採用し、開口一番「カラカウア王の展示はいつにしようか?」と聞いた。
そして2018年の今、ジョンストンさんはオフィスでアメリカーノを飲みながら、美術館最大の展示スペースの紙製の模型を眺めている。中には、多岐にわたる作品のミニチュアの切り抜きが並べられている。「この時代には、私が大好きな現代アートの全てがありました。それは実験的であると同時に、大胆不敵なものでした」とジョンストンさん 。
ジョンストンさんは、今回の展示の内容と連動している歴史資料を開くと、さまざまな油絵やハワイアンの羽細工といった写真に続いて、カラカウア王の誕生日を祝う1886年撮影の祝賀会の写真で手を止めた。涼しげな白のスーツに身を包み、カピオラニ女王とともにイオラニ宮殿の階段を降りる王に、妹のリリオオカラニと夫のジョン・ドミニスが続く。当時の王国には多くの写真家がいたが、この写真に写っている王族たちの背後には、立派なハワイの旗や紋章などの装飾品が並べられたコリント様式の柱、前景にはエジソンの発明による電球を使った電柱が堂々と捉えている。ジョンストンさんはこの写真家の意図について「これらは全てハワイの王族と国家を象徴するものです。当時の洗練された文化と高度な技術を証明しています」と教えてくれた。
『ホオウル・ハワイ』展の扉を開けると真っ先に目に飛び込んでくるのが、大きく引き伸ばされたこの祝賀会の写真だ。このギャラリーに飾られた写真は、展示されているレイやキルト、勲章や油絵といった当時の芸術に込められた作者の意図を裏付けるものだ。ギャラリーの一番手前の壁には、エマ女王の姿が縫いこまれた大判のキルトが掛けられている。その横には、キルトのデザインの元となった初公開の女王の写真が並んでいる。その写真は幅9センチに満たない小さなスライドで、美術館の書庫からジョンストンさんが見つけたものだ。「これは当時のアーティストや職人たちが、さまざまな形で独自の芸術手法を使って自由かつ大胆に表現していたことを表しています」と説明する
当時、一国の長としては初の世界航海に出たカラカウア王は、どの写真にも王族の礼服や勲章を身につけた正装で写っている。これには国際社会へ王の権威を示す狙いがあった。ギャラリーの壁に飾られたこれらの写真や王の衣服と並んで飾られたメダルや勲章が輝くディスプレイからは、これまで明かされてこなかった歴史の一面を察することができる。メリーモナーク(陽気な王様)として親しまれ、伝統文化の復興に尽力したカラカウア王が、ハワイという王国の文化水準の高さを世界に知らしめる目的で開催した王国内のパレードや、誇らしげなフラダンサーやパウ(ブルマ風のスカート)を履いた颯爽とした女性騎馬隊のパウライダーを撮影した写真も展示されている。
ダイナミックな展示の中に、プラズマの光と色で当時の姿を見事に再現した等身大のカラカウア王もいる。来館者は、ギャラリー内にあるフォトブースで、その一部を世紀末の渦中にあった激動の時代がデザインされた写真にして持ち帰ることができる。
『ホオウル・ハワイ』展は、英語と同等にハワイ語を使った初の展示であるかもしれない。監修にあたりジョンストンさんは、イオラニ宮殿やハワイ州立資料館、ビショップ博物館から多数の展示品を集めた。コミュニティの中で助け合うハワイアンの理念に基づいた未だかつてない今回のコラボレーションは、カラカウア時代の実験的で大胆な表現の精神を象徴している。「それはこれまでのハワイの歴史的解釈を問い正そうというこれらの博物館が共有するビジョンの表れなのです」。
ハワイ州立資料館の協力により、同じく1886年のカラカウア王の誕生日の祝賀パーティーのためにジョセフ・ストロング氏によって製作されたホノルル港の風景を描いた2枚のパノラマの油絵が展示されている。長い間眠っていたこの二連画の一枚目には静かで落ち着いた雰囲気の1836年の港の風景、そしてもう一枚には1886年の賑やかな港町が描かれ、近代化の前と後で大きく姿を変えた港の様子が分かる。「このアーティストは、賑やかな空を描写することで、ハワイを太平洋の商業の中心として描いています。カラカウア王の生涯にわたる成長の物語がハワイ王国の人々が理解できるように描かれています」とジョンストンは説明する。
この2枚の絵を通り過ぎギャラリーを出ると、そこにはコンクリートと鉄筋とヤシの木の混在する世界が待っている。それは現代のホノルルであり、アメリカの帝国に輝く宝石のようである。来館者はここで初めて、1893年にカラカウア王の自宅が強制的に閉鎖されるまでに至った、当時の資本主義による抑圧を実感できるであろう。カラカウア王の名誉回復を図るジョンストンさんによる画期的な展示からその歴史は意図的に省かれている。その理由についてジョンストンさんは「ハワイ王朝の転覆がいかに残念な歴史であったかを知るためには、それ以前のハワイがどれだけ素晴らしいものであったかを知る必要があります。今回の展示は、カラカウア王の生涯と歴史に誇りと名誉を取り戻すものなのです」と語った
ハワイ王国で使用されていた電話機(19世紀後半)
写真:ジェシー・W・スティーブン ©Bishop Museum; ビショップ博物館古文書館
とカラカウア王の世界一周メダル。
写真:ジェシー・W・スティーブン ©Bishop Museum; ビショップ博物館古文書館
カラカウア王 のスライド写真、1880年。
シュウゾウ・ウエモト撮影、 ホノルル美術館
パウライダー、1890年。
J.A.ゴンサルベスとマリア・ラモス 撮影。ハワイ州立資料館
ハワイの女性フ ラダンサーの二人。 1858年
ビショップ博物館 古文書館
1886年の ホノルル・ハーバー。 ジョセフ・ストロング作。
シュウゾウ・ウエモト撮影、 ハワイ州立資料館
ハワイのリロア王の羽で 作られた王族の綬章。 1890年、エラ・スミス・ コーウィン、ビショップ 博物館古文書館
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