『モアナヌイアケア:一つの海、一つの民、一隻のカヌー』は、23カ国 150港と8つのユネスコ世界遺産を巡り、4万1千海里を旅した伝統 航海カヌー、ホクレア号の歴史的な世界一周航海「マラマホヌア」を記 録した2時間半におよぶドキュメンタリーだ。撮影隊は、第一陣の乗組 員のトレーニングから、ハワイ島ヒロ港での出帆、太平洋、インド洋、大 西洋の航海、母港ホノルルへの帰港まで、世界一周の全行程に同行し た。思いがけないほど多くの冒険や絆を生んだ壮大な旅。その間には 新しい命の誕生があり、2017年6月の旅の終了の一ヶ月前にはポリネ シア航海協会創始者の最後の一人であったベン・フィニー氏が逝去し た。ホクレア号の世界一周の旅は、オセアニア航海の歴史や先住民の 逞しさ、そして環境保護のメッセージを世界中に広めた。
「総勢8人でこの旅を記録しました」。地元の制作会社のオイヴ ィTVの共同創立者でCEOであり、ブライソン・ホエさんとマウイ・タウ オタハさんと共同でこの映画を制作した主任プロデューサーのナアレ フ・アンソニーさんは語る。生中継やウェブでのストリーミングを行い、 世界中のニュース番組へ提供する素材の撮影や編集を担当した オイ ヴィTVの撮影隊は、時にハワイアンのチャント(祈祷)やヘミングウェ イやメルヴィルの海洋小説に出てくるような悪条件下での作業を強い られたという。ホクレア号の双胴に打ち上げる波や、荒海の中、乗組員 たちが船体にしがみつくシーンが映画にも出てくる。1970年代に実現 したホクレア号の初航海についてアンソニーさんは、「ホクレア号の初 航海は全て映像に収められていたのです。2014年に私たちがこのドキュメンタリーを撮り始めて直面した課題は、フィルムを使用していた時 代に彼らはどうやって機材を濡らさずに撮影できたのか、を解明するこ とでした」と語る。
1973年にホノルルで結成したポリネシア航海協会は、物語やチ ャント、伝説を通じて語り継がれ、コミュニティの一部の人々の間で受 け継がれてきた伝統的なカヌーによる太平洋航海術や、西洋文化の影 響を受ける以前のポリネシア人による大西洋横断についての相反する 理論の実証を目的に設立された。ハワイでは西洋の影響を受けてから 何世紀もの間、伝統的なカヌー製法や航海技術は失われてしまってい た。ポリネシア航海協会による太平洋独自の文化復興運動によって、 ホクレア号が誕生して以来、太平洋全域やハワイ諸島全島で多くの遠 洋航海カヌーが作られるようになり、何千人もの航海士やナビゲータ ーが未知の発見の旅へと続く航海術を習得している。
マラマホヌアでの経験は、参加者たちに多くの影響を与え、彼ら の人生を永遠に変えるものとなった。アンソニーさんは、「ワールドプレ ミアの上映会のあと、ステージ前にあるオーケストラのピットの広さが ホクレア号の甲板と同じだと気づきました。限られた空間で角度やフ レームを変えて撮影するのに最初は苦労しましたね」と幅3m奥行き 18mのカヌーの上での撮影を振り返る。
マラマホヌアは、太平洋を旅する航海としては世界初の規模で あった。寄港先では多くの貴重な体験が乗組員を待っていた。人口の 少ない停泊地ではクルーたちが自らカヌーを整備し、ホストと連絡を 取って食べ物を入手することもあった。一方、国際的な都市では要人 のスピーチや沢山の供え物やギフト贈呈が用意され、数千人もの人々 が参加してカヌーの到着を祝う盛大なイベントが行われた。
複数の区間を総勢245名体制で帆走するホクレア号の航海中 には、ニュージーランドと南アフリカで乾ドックに入り、何ヶ月もわたっ てカヌーの修理が行われた。この映画は、教師と生徒たちが海での凝 縮された時間をどのように過ごしたか、そしてクルー達が訪れた先々で 体験した感動的な文化交流を捉えている。その中でも主役的な存在として登場するのが、地上ではともに教育者の資格を持つ二人の女性、 航海士見習いのジェナ・イシイさんと船長のカイウラニ・マーフィーさ んだ。教室とホノルル港沖で長時間にわたる航海術のトレーニングを 受けて航海に挑んだ二人は、海で約5年間という歳月を過ごし、今で は豊富な経験とスキルを持つベテラン航海士として、また地域のリー ダーとして活躍している。
「この作品はカヌー好きのためだけの映画ではなく、ハワイに住 む人はもちろん、全ての人に捧げるものです。私たちが同じ地球人とし て互いに協力し合える機会を与えてくれます。それがホクレア号の世界 一周の旅の目的でもあるのです。私たちを応援してくれた国や港の人 たちがこの映画を見てカヌーとともに世界を旅することができることを 願っています」とアンソニーさんは語った。
『モアナヌイアケア:一つの海、一つの民、一隻のカヌー』は、23カ国 150港と8つのユネスコ世界遺産を巡り、4万1千海里を旅した伝統 航海カヌー、ホクレア号の歴史的な世界一周航海「マラマホヌア」を記 録した2時間半におよぶドキュメンタリーだ。撮影隊は、第一陣の乗組 員のトレーニングから、ハワイ島ヒロ港での出帆、太平洋、インド洋、大 西洋の航海、母港ホノルルへの帰港まで、世界一周の全行程に同行し た。思いがけないほど多くの冒険や絆を生んだ壮大な旅。その間には 新しい命の誕生があり、2017年6月の旅の終了の一ヶ月前にはポリネ シア航海協会創始者の最後の一人であったベン・フィニー氏が逝去し た。ホクレア号の世界一周の旅は、オセアニア航海の歴史や先住民の 逞しさ、そして環境保護のメッセージを世界中に広めた。
「総勢8人でこの旅を記録しました」。地元の制作会社のオイヴ ィTVの共同創立者でCEOであり、ブライソン・ホエさんとマウイ・タウ オタハさんと共同でこの映画を制作した主任プロデューサーのナアレ フ・アンソニーさんは語る。生中継やウェブでのストリーミングを行い、 世界中のニュース番組へ提供する素材の撮影や編集を担当した オイ ヴィTVの撮影隊は、時にハワイアンのチャント(祈祷)やヘミングウェ イやメルヴィルの海洋小説に出てくるような悪条件下での作業を強い られたという。ホクレア号の双胴に打ち上げる波や、荒海の中、乗組員 たちが船体にしがみつくシーンが映画にも出てくる。1970年代に実現 したホクレア号の初航海についてアンソニーさんは、「ホクレア号の初 航海は全て映像に収められていたのです。2014年に私たちがこのドキュメンタリーを撮り始めて直面した課題は、フィルムを使用していた時 代に彼らはどうやって機材を濡らさずに撮影できたのか、を解明するこ とでした」と語る。
1973年にホノルルで結成したポリネシア航海協会は、物語やチ ャント、伝説を通じて語り継がれ、コミュニティの一部の人々の間で受 け継がれてきた伝統的なカヌーによる太平洋航海術や、西洋文化の影 響を受ける以前のポリネシア人による大西洋横断についての相反する 理論の実証を目的に設立された。ハワイでは西洋の影響を受けてから 何世紀もの間、伝統的なカヌー製法や航海技術は失われてしまってい た。ポリネシア航海協会による太平洋独自の文化復興運動によって、 ホクレア号が誕生して以来、太平洋全域やハワイ諸島全島で多くの遠 洋航海カヌーが作られるようになり、何千人もの航海士やナビゲータ ーが未知の発見の旅へと続く航海術を習得している。
マラマホヌアでの経験は、参加者たちに多くの影響を与え、彼ら の人生を永遠に変えるものとなった。アンソニーさんは、「ワールドプレ ミアの上映会のあと、ステージ前にあるオーケストラのピットの広さが ホクレア号の甲板と同じだと気づきました。限られた空間で角度やフ レームを変えて撮影するのに最初は苦労しましたね」と幅3m奥行き 18mのカヌーの上での撮影を振り返る。
マラマホヌアは、太平洋を旅する航海としては世界初の規模で あった。寄港先では多くの貴重な体験が乗組員を待っていた。人口の 少ない停泊地ではクルーたちが自らカヌーを整備し、ホストと連絡を 取って食べ物を入手することもあった。一方、国際的な都市では要人 のスピーチや沢山の供え物やギフト贈呈が用意され、数千人もの人々 が参加してカヌーの到着を祝う盛大なイベントが行われた。
複数の区間を総勢245名体制で帆走するホクレア号の航海中 には、ニュージーランドと南アフリカで乾ドックに入り、何ヶ月もわたっ てカヌーの修理が行われた。この映画は、教師と生徒たちが海での凝 縮された時間をどのように過ごしたか、そしてクルー達が訪れた先々で 体験した感動的な文化交流を捉えている。その中でも主役的な存在として登場するのが、地上ではともに教育者の資格を持つ二人の女性、 航海士見習いのジェナ・イシイさんと船長のカイウラニ・マーフィーさ んだ。教室とホノルル港沖で長時間にわたる航海術のトレーニングを 受けて航海に挑んだ二人は、海で約5年間という歳月を過ごし、今で は豊富な経験とスキルを持つベテラン航海士として、また地域のリー ダーとして活躍している。
「この作品はカヌー好きのためだけの映画ではなく、ハワイに住 む人はもちろん、全ての人に捧げるものです。私たちが同じ地球人とし て互いに協力し合える機会を与えてくれます。それがホクレア号の世界 一周の旅の目的でもあるのです。私たちを応援してくれた国や港の人 たちがこの映画を見てカヌーとともに世界を旅することができることを 願っています」とアンソニーさんは語った。
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