12月の冷え込んだある朝、かつてパイナップルの世界的な生産地とし て栄えたオアフの中心にある田舎町のワヒアワでは時計が午前6時を まわったところだ。裏庭では半袖の法被を羽織り、鉢巻をした初老の男 性たちが、ガスコンロの上に積まれた竹製の蒸し器でもち米を蒸してい る。ガレージの中にテーブルを並べている人たちもいる。数時間後には、 ここに地元に住むウエスギ家の親戚が数十人集まり、餅つきが始まる。 炊きたてのもち米をつき、できた餅をさまざまな大きさに丸め、つぶしあ んやチョコレート、ヘーゼルナッツクリーム、クッキーバターなどを中に 詰めていく流れ作業だ。
自宅で餅を手作りする習慣は、ハワイでは何世代も前から続く正月 の伝統であるが、今ではごく少数の家庭でしか見られない光景となっ た。ウエスギ家の年配の人たちによれば昔は木製の杵と石臼のみを使 って餅をついていたそうだが、今日では蒸したてのもち米をステンレス 製の機械を通して柔らかいペースト状にしてから杵でつく。若い男性た ちがついた餅を、残りの家族が手に取って平たい丸形に整えていく。 できあがった餠は、鏡餅にして供えたり、力のつく縁起物として昆布とと もに雑煮に入れて食べる。
2人の息子が10代の頃から毎年決まって正月に餅をついているとい うショーン・ウエスギ・ナカモトさんは「、私の一家は、私の知る限りずっ と餅つきを続けています。我が家の餅つきの伝統は、これからも大切に 守り続けたいと思います。子供たちにとっても楽しい経験で、家族全員 が毎年楽しみにしているのですから」。
ハワイでは、餅は花火やシャンパンと同様、新年のお祝いに欠かせな いものである。少なくとも13世紀以上前から日本で作られている餅は、 かつては皇族や貴族の間でしか食べられていなかったが、神道の儀式 に使われるようになって普及し、日本の正月に長寿と健康のシンボルと して食べられるようになったという。
今日、ハワイでは餅の入ったスープやきなこ餅、磯辺焼き、あんこやピ ーナッツバター入りのものやいちご大福など様々な餅が一年を通して 食べられている。コンビニエンスストアでも売られているし、ローカルが 大好きなシェイブアイスのトッピングになっているほど身近な食べ物で ある。だが新年のお祝いに作られる餅ほど特別なものはないだろう。丸 くて平たい白餅を2つ重ね、葉の付いたみかんがのった鏡餅は、神々へ の供え物として祭壇や家の中に飾ると新年に幸運を招くとされている。
ウエスギ家の人たちのように、伝統的な大福餅を普通の家庭で作る のは至難の技である。故に地元の人たちは、カリヒにある倉庫街にひっ そりと店を構える創業97年のニッショードー・キャンディ・ストアに足 を運ぶのである。この店では毎年、正月だけでも何千個もの餅を作って いる。ホリデーシーズンには230キロ近くの餅米を使い切り、ピーク時 には、客からの需要に応えるため、スタッフは朝5時に出勤するが、それ でも間に合わないという「。繁忙期には店の外まで行列ができ、お客様 から不満の声もあがるのですが、どうすることもできないのです」と説明 するのは銀行を定年退職し、家族経営のニッショードーを3代目オーナ ーとして支えるマイク・ヒラオ(68歳)さんだ。
繁忙期は年末から正月にかけてであるが、一年を通してニッショー ドー・キャンディ・ストアで一番の人気を誇る商品は「ちちだんご」だ。求 肥を使った柔らくてほの甘いピンクと白の餅は、店内で毎日ほぼ全て手 作業で作られ、週に4万個ほど売れるという。またこの店は、オアフ島で 今もひな祭り用の菱餅を作っている数少ない店でもある。
ニッショードー・キャンディ・ストアが一年で一番忙しいのは何といっ ても新年だ。祭壇に餅を飾り、元旦にお雑煮に入れて食べる習慣の中 で育ったヒラオさんは今も、正月になると自宅の台所のカウンターの上 に鏡餅を飾ってその伝統を守っている。「僕たちが子供の頃から続いて いる習慣を今も大切にしています。それは我が家の伝統ですから」とヒ ラオさんは語る。
ハワイで餅を作り続けている ニッショードー・キャンディ・ ストアは、もうすぐ創業100年 を迎える。
ニッショードーの「ちちだんご」は、週に4万個も売れる人気商品だ。
オアフ島カリヒにある目立たない倉庫の中にあるニッショードーキャンディストア
ホリデーシーズンになると、 ニッショードーでは230キ ロ近くの餅米を使い切る。
餅には様々な味や食感、トッピングやフィリングの入ったものがある。
日本では季節の変わり目やお祝 い事に縁起の良い食べ物として 食べられていた餅は、今日のハ ワイでは日常的なおやつとして 食べられている。
日本の餅つきは、ハワイの新年 の習慣として定着している。 地元の家庭でも新年の幸福を 祈り、鏡餅を神々への供え物と して祭壇や家の中に飾る。
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