ジョージア・オキー フ作『ヘリコニア(クラブクロウ ジンジャー)』1939年。
場所と色彩

それぞれの土地の奥深い魅力を伝え、ハワイでも数々の美しい絵画を残したアメリカの偉大な芸術家ジョージア・オキーフ

レイ・ソジョット
写真
ニューヨーク・ボタニカル・ガーデン提供

アメリカを代表する女性画家のジョージア・オキーフさんは、「人はどんな場所であっても、新しい環境に身を置くことで次々と新しいインスピレーションが湧き上がってくるものです」と1940年にニューヨーク市にある彼女の夫で写真家のアルフレッド・スティグリッツのギャラリー「 アン・アメリカン・プレイス」での個展について書き残している。アバンギ ャルドなアメリカの芸術の中心として知られていたこのギャラリーを訪れる人々は、見慣れた質素な南西部の風景や都市のスカイラインとい った作品を想像していた。だが彼らが目にしたのは全く異なるアートであった。それはオキーフさんがハワイで過ごした冬の9週間の滞在の滞在中にエキゾチックな植物や鮮やかな島の景観の魅力を描いた美しい作品集だった。

1939年当時すでに有名なモダニスト画家であったオキーフさんは、ハワイアン・パイナップル・カンパニー(のちのドール・フード・カンパニ ー)から全国雑誌で展開する広告キャンペーン用に2枚の絵を制作してほしいという依頼を受けてハワイを訪れた。1930年代には企業のマーケティング戦略の一環として、著名なアーティストへのコミッション ワ ークの発注が流行していた。ドール社はオキーフさんに、独特のスタイルで ハワイのロマンチックな魅力を伝える瑞々しいパイナップルの絵を 描いてほしいと依頼した。オキーフさんにとっても、その誘いは願ったり叶ったりであった。当時のアート展では批評家から新鮮さに欠けるとい った評価を受けていたこともあり、他人の評価に左右されないと言われるオキーフさんではあったが、このドールのオファーは職業的にも個人的にも新たなスタートを切るための格好の機会であったことだろう。

51歳のオキーフさんは、豪華客船のS.S. Lurlineに乗船して太平洋を渡り、ハワイで温かい歓迎を受けた。彼女のハワイへの到着については地元のニュースで流れたが、その後の滞在中の彼女の活動については公にされることはなかった。プライベートな性格で単独行動を好むことで知られる彼女は、社交的なイベントを避け、自らの性格に合うスケジュールを優先した。ゆえに誰にも拘束や邪魔をされず、自由に絵を描くことができたのだった。

オキーフさんは2ヶ月かけて、オアフ島、マウイ島、カウアイ島、ハワイ島を旅し、熱帯の風景やエキゾチックな植物を描く中で、芸術的な新しい表現を見出した。彼女はオアフ島のパイナップル畑に驚嘆し、「鋭く銀色に光るその畑は、美しい山々まで数マイルにわたって広がっている」と賞賛し、マウイのハナ海岸沿いでは「溶岩がとても鋭く美しい形で海へと流れ出ている」と心踊るような体験から多くのインスピレーションを得ている。マウイ島ではレンタカーをし、探検と孤独の両方を楽しみながら島内を自由に回って好きな絵を描くことに没頭した。フォルムと色彩を生かし、目にしたもの全てを豊かで幻想的かつドラマチックに描いて ゆ く。青々とした険しいイアオ渓谷や滝、陰影のある海の中に覗くごつごつとした溶岩、空と海の背景に映える朱色のヘリコニアの官能的な曲線などを描いた作品だ。

オキーフさんはハワイ滞在中に20枚の作品を製作した。翌年、アン・アメリカン・プレイスでこれらの作品が展示されると、その新鮮さと豊かな感性、美しさは大いに賞賛を浴びた。米紙『ニューヨーク・サン』の批評家のヘンリー・マクブライド氏は、「このコレクションの風景や花の描写、海の景色は、世界のどこでもその土地ならではの心地良さと魅力を見い出すことができるオキーフさんの優れた才能が発揮されている」と評価している。

それから約80年後、これらのうち17作品がニューヨーク植物園に集められ、2018年5月19日から10月28日まで、『ジョージア・オキーフ:ビジョンズ・オブ・ハワイ展』が開催される。ニューヨーク植物園の展示を企画したのは、ホノルル美術館でヨーロッパとアメリカ芸術のキュレ ーターを手がけるテレサ・パパニコラスさんだ。オキーフさんの長年のフ ァンでもあるパパニコラスさんは、ホノルル美術館にオキーフさんのハワイの作品が5つ収蔵されていることを嬉しく思っている。(現在、その全てがニューヨーク植物園に貸し出されている)彼女は、オキーフさんがハワイで過ごした時間や作品はあまり知られておらず、多くの人たちがそれを知ると驚き、関心を抱くという。

パパニコラスさんは、「オキーフさんは主にニューメキシコや南西部を拠点にしていたイメージが強いので、それ以外の場所にいる彼女を想像すると違和感を覚えます。『砂漠の巫女』であるジョージア・オキーフさんのハワイでの姿はイメージし難いのです」。だが彼女には地理的な場所に関わらず、それぞれの土地や自然の持つ美しさを最大限に引き出す優れた能力があり、身を置いた環境の真髄を捉えたいという情熱を生涯を通して抱いていた。「オキーフさんはハワイを愛し、いつか戻ってきたいと望んでいました」とパパニコラスさんは言う。「批評家は彼女のハワイでの作品を芸術的にも高く評価していますが、実際にはハワイという場所でオキーフさんが感じた感受性溢れる表現を評価したのだと思います」。

*ニューヨーク・ボタニカル・ガーデンのジョージア・オキーフ展については、ガーデンのウェブサイトをご覧ください。

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ジョージア・オキー フ作『ヘリコニア(クラブクロウ ジンジャー)』1939年。

『ヘリコニア(クラブクロウ ジンジャー)』1939年。キャン バスに油絵。シャロン・ツウィッ グ・スミスのコレクション。
© 2018 Georgia O’Keeffe Museum / Artists Rights Society (ARS), New York

ジョージア・オキーフ 作『ウォーターフォール、No. 1 、マウイのイアオ渓谷』

『ウォーターフォール、No. 1 、マウイのイアオ渓谷』キャンバ スに油絵。メンフィス・ブルック ス美術館。
© 2018 Georgia O’Keeffe Museum / Artists Rights Society (ARS), New York

ジョージア・オキーフ作の『ハイビスカスとプルメリア』1939 年。

『ハイビスカスとプルメリア』1939年。キャンバスに油絵。スミソニアンアメリカ美術館、サム・ローズ&ジュリー・ウォーターズ寄贈。ホノルル美術館
© 2018 Georgia O’Keeffe Museum / Artists Rights Society (ARS), New York.

ジョージア・オキーフ(米国1887-1986)作の『ポウポウツリ ー、イアオ渓谷、マウイ島』1939年。

ジョージア・オキーフ(米国1887-1986)作の『ポウポウツリ ー、イアオ渓谷、マウイ島』1939年。キャンバスに油絵。スーザン・クロ ーフォード・トレーシー寄贈。ホノルル美術館
© Honolulu Museum of Art

ジョージア・オキーフ作『ブラッ クラバ・ブリッジ、ハナコースト No.2』1939年。

『ブラッ クラバ・ブリッジ、ハナコースト No.2』1939年。キャンバスに 油絵。ジョージア・オキーフ・フ ァンデーション寄贈。
© Honolulu Museum of Art

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