ウォーリー・イトウさんは、かつてリムがオアフ島の風下、リーワード側にあるオネウラビーチの海岸線を覆っていたのを覚えている。
干潮時には、高さ60センチほどの太い枝をしたリムの山が海岸 に打ち上げられていたという。ハワイ語では「マナウエア」、日本語では「オゴ」と呼ばれる赤みがかった海藻は、最も一般的に食べられている種類のリムだ。オネウラビーチで泳ぐ人は、硬い海藻の枝に体をひっ掻かれ、リムを髪や水着にくっついたまま海から上がってくる。浅瀬で遊ぶ子供たちは、リムをかつらにして遊んだ。8歳のウォーリーさんは、夢中になって海藻を拾った。手一杯に集めた海草の砂と泥を塩水で洗い流し、家に持ち帰ると、母はその海藻と野菜を使って、多くのローカルの日系家庭で食べられていた美味しい漬物「オゴのなます」を作ってくれた ものだ。
あれから約60年後、現在のオネウラビーチに当時の面影はない。 干潮時、海岸線には小さなオゴが現れるだけで、人々は自由に泳いでいる。今の世代の子供たちは、リムのかつらなど作ったことがあるまい。海岸の景色は変わってしまったが、“ウォーリーおじさん”は、これまで以上にリムに夢中だ。
ハワイは、世界有数の太平洋藻類の専門家で、「リムのファー ストレディ」として知られるイザベラ・アイオナ・アボットも輩出している。2010年にこの世を去った民族植物学者だ。彼女は、ネイティブハワイアンの血を引く女性として初めて科学の博士号を取得し、ハワイ先住民の知識を民族植物学の世界に紹介した人物だ。彼女が1992年に出版した、ハワイの固有植物について書かれた初の書籍『Lāʻau Hawai‘i: Traditional Hawaiian Uses of Plants』は、今も幅広く使用され、再版され続けている。
ハワイのリムに詳しい専門家の多くは、今も口承の伝統を通じて、ハワイのリムの知識を広め続けている。その1人がウォーリーおじさんである。海洋生物学を勉強した彼がリムの歴史と科学に興味を持ち始めたのは、50代に入ってからだ。エヴァ・リム・プロジェクトの故ヘンリー・チャン・ウォ・ジュニアさんと仕事を始め、師と仰ぐようになったウォーリーおじさんは、リムに詳しい人たちのコミュニティにハワイの島々で会ううちに、「一つのアイディアが生まれたんだ」という。それぞれ多くのストーリーを持つクプナ(老人)たちを同じ場所に集めて、お互いに話をしてもらうことにしたんだ」。
2014年、ウォーリーおじさんとヘンリーさんは、「Gather the Gatherers(リム採取者の集まり)」と銘打って、リムの採取者を集めたオアフ島で最初の「リム・フイ」リトリートを開催した。4日間の会合には、マナオやイケ(思想や知恵)を共有する約30人の専門家が参加した。毎年開催される集まりの主な目標は、クプナの語るストーリーを共有することで、ハワイのリムの歴史を世に広めることだ。
「ハワイアンの人たちにとって、リムは言語と同じくらい大切なアイデンティティの一部なんだ」とウォーリーおじさんは言う。「だからその知識を失うことは、ハワイのアイデンティティの一部を失うことと同じなのさ」。西洋の影響を受ける以前のハワイでは、魚、ポイ、リムが人々の主食であった。ハワイアンの人たちは、リムを魚と一緒に食べたり、サラダとして食した。現在、私たちが醤油ポケの上にリム・マナウエアをのせて食べるのと同じだ。リムは古代から女性が食べることを許されていた食べ物であったため、女性たちは頻繁に集めては食べていて、女性たちはその種類や採取できる場所に詳しかった。
古い研究では、ハワイ語の名前を持つ149種ものリムが存在するとされていたが、アボットさんによれば、科学的に見るとその数は29種ほどに分類されるだそうだ。ウォーリーおじさんは、これらの種のうち、現在、ハワイで見られ、使用されているのは15種のみだという。彼はこの減少が淡水の流れに影響を与える都市開発と侵襲的なリムの広がりによるものだという。
この減少を食い止めるため、リムを移植して育てる活動を行う保 護グループが形成された。ワイマナロ・リム・フイのボランティアたちは、 毎月、カイオナビーチパークで1日を過ごし、リムが生育できるようにアンカーを作って海に流す作業を行なっている。この団体を代表するイカイカ・ロジャーソンさんによれば、2017年のフイの発足以来、カイオナ ビーチのリムは、再生しつつあるという。
大幅に数が減ってしまったために、今ではリムを口にすることがほとんどなくなったというウォーリーおじさんだが、保護活動の努力のおかげで、リムがふたたびローカルの食卓に並ぶ日も近い。シェフのマーク・ノグチさんいわく、外来種のリムも在来種のリムに、味では引けを取らないという。彼が好んで使用するオゴは、“ゴリラオゴ”と呼ばれるヘエイア・フィッシュポンドで豊富に育っているオゴだ。ノグチさんは、ゴリラオゴを塩漬けや酢漬け、乾燥したり、揚げものとして使ったり様々な 調理法を試みている。多くの場合、ポケや魚の上にのせて使うが、サルサに入れたり、細かくして新鮮なポイに入れることもある「。ゴリラオゴ は、細かく切り刻んで使わないと、小枝を噛んでいるみたいに硬いんだ」と彼は笑う。
シェフは、ウォーリーおじさんをはじめ、クプナからリムの深い歴史について多くを学んだという。「僕たちが食べている食べ物がどこから来たのか、そのルーツを知ることで、より深い感謝の気持ちが生まれるんだ」というノグチさんは、パアカイ(塩)とククイ(キャンドルナッツ) に加えて、ハワイの3つの主要な調味料の1つであると知って以来、頻繁にリムを料理に取り入れるようになったという。ノグチさんがケータリングするイベントには、リムを使った料理が少なくとも一品出てきて、沢山の美味しいリムの食べ方を教えてくれている。そんなリムが多くの家庭に並ぶためには、まずその数を増やさなくてはならない。
地元の環境保護団体による再生活動のおかげで、地元の人たちの毎日の食卓にリムがふたたび並ぶ日も近いかもしれない。
「ハワイアンの人たちにとって、リムは言語と同じくらい大切なアイデンティティの一部なんだ」とウォーリーおじさんは言う。「その知識を失うことは、ハワイのアイデンティティの一部を失うことと同じなのさ」
ハワイのリムに詳しい専門家の多くは、今も口承の伝統を通じて、ハワイのリムの知識を広め続けている。
ウォーリー・イトウさんは、かつてリムがオアフ島の風下、リーワード側にあるオネウラビーチの海岸線を覆っていたのを覚えている。
干潮時には、高さ60センチほどの太い枝をしたリムの山が海岸 に打ち上げられていたという。ハワイ語では「マナウエア」、日本語では「オゴ」と呼ばれる赤みがかった海藻は、最も一般的に食べられている種類のリムだ。オネウラビーチで泳ぐ人は、硬い海藻の枝に体をひっ掻かれ、リムを髪や水着にくっついたまま海から上がってくる。浅瀬で遊ぶ子供たちは、リムをかつらにして遊んだ。8歳のウォーリーさんは、夢中になって海藻を拾った。手一杯に集めた海草の砂と泥を塩水で洗い流 し、家に持ち帰ると、母はその海藻と野菜を使って、多くのローカルの日系家庭で食べられていた美味しい漬物「オゴのなます」を作ってくれた ものだ。
あれから約60年後、現在のオネウラビーチに当時の面影はない。 干潮時、海岸線には小さなオゴが現れるだけで、人々は自由に泳いでいる。今の世代の子供たちは、リムのかつらなど作ったことがあるまい。海岸の景色は変わってしまったが、“ウォーリーおじさん”は、これまで以上にリムに夢中だ。
ハワイは、世界有数の太平洋藻類の専門家で、「リムのファー ストレディ」として知られるイザベラ・アイオナ・アボットも輩出している。2010年にこの世を去った民族植物学者だ。彼女は、ネイティブハワイアンの血を引く女性として初めて科学の博士号を取得し、ハワイ先住民の知識を民族植物学の世界に紹介した人物だ。彼女が1992年に出版した、ハワイの固有植物について書かれた初の書籍『Lāʻau Hawai‘i: Traditional Hawaiian Uses of Plants』は、今も幅広く使用され、再版され続けている。
ハワイのリムに詳しい専門家の多くは、今も口承の伝統を通じて、ハワイのリムの知識を広め続けている。その1人がウォーリーおじさんである。海洋生物学を勉強した彼がリムの歴史と科学に興味を持ち始めたのは、50代に入ってからだ。エヴァ・リム・プロジェクトの故ヘンリー・チャン・ウォ・ジュニアさんと仕事を始め、師と仰ぐようになったウォーリーおじさんは、リムに詳しい人たちのコミュニティにハワイの島々で会ううちに、「一つのアイディアが生まれたんだ」という。それぞれ多くのストーリーを持つクプナ(老人)たちを同じ場所に集めて、お互いに話をしてもらうことにしたんだ」。
2014年、ウォーリーおじさんとヘンリーさんは、「Gather the Gatherers(リム採取者の集まり)」と銘打って、リムの採取者を集めたオアフ島で最初の「リム・フイ」リトリートを開催した。4日間の会合には、マナオやイケ(思想や知恵)を共有する約30人の専門家が参加した。毎年開催される集まりの主な目標は、クプナの語るストーリーを共有することで、ハワイのリムの歴史を世に広めることだ。
「ハワイアンの人たちにとって、リムは言語と同じくらい大切なアイデンティティの一部なんだ」とウォーリーおじさんは言う。「だからその知識を失うことは、ハワイのアイデンティティの一部を失うことと同じなのさ」。西洋の影響を受ける以前のハワイでは、魚、ポイ、リムが人々の主食であった。ハワイアンの人たちは、リムを魚と一緒に食べたり、サラダとして食した。現在、私たちが醤油ポケの上にリム・マナウエアをのせて食べるのと同じだ。リムは古代から女性が食べることを許されていた食べ物であったため、女性たちは頻繁に集めては食べていて、女性たちはその種類や採取できる場所に詳しかった。
古い研究では、ハワイ語の名前を持つ149種ものリムが存在するとされていたが、アボットさんによれば、科学的に見るとその数は29種ほどに分類されるだそうだ。ウォーリーおじさんは、これらの種のうち、現在、ハワイで見られ、使用されているのは15種のみだという。彼はこの減少が淡水の流れに影響を与える都市開発と侵襲的なリムの広がりによるものだという。
この減少を食い止めるため、リムを移植して育てる活動を行う保 護グループが形成された。ワイマナロ・リム・フイのボランティアたちは、 毎月、カイオナビーチパークで1日を過ごし、リムが生育できるようにアンカーを作って海に流す作業を行なっている。この団体を代表するイカイカ・ロジャーソンさんによれば、2017年のフイの発足以来、カイオナ ビーチのリムは、再生しつつあるという。
大幅に数が減ってしまったために、今ではリムを口にすることがほとんどなくなったというウォーリーおじさんだが、保護活動の努力のおかげで、リムがふたたびローカルの食卓に並ぶ日も近い。シェフのマーク・ノグチさんいわく、外来種のリムも在来種のリムに、味では引けを取らないという。彼が好んで使用するオゴは、“ゴリラオゴ”と呼ばれるヘエイア・フィッシュポンドで豊富に育っているオゴだ。ノグチさんは、ゴリラオゴを塩漬けや酢漬け、乾燥したり、揚げものとして使ったり様々な 調理法を試みている。多くの場合、ポケや魚の上にのせて使うが、サルサに入れたり、細かくして新鮮なポイに入れることもある「。ゴリラオゴ は、細かく切り刻んで使わないと、小枝を噛んでいるみたいに硬いんだ」と彼は笑う。
シェフは、ウォーリーおじさんをはじめ、クプナからリムの深い歴史について多くを学んだという。「僕たちが食べている食べ物がどこから来たのか、そのルーツを知ることで、より深い感謝の気持ちが生まれるんだ」というノグチさんは、パアカイ(塩)とククイ(キャンドルナッツ) に加えて、ハワイの3つの主要な調味料の1つであると知って以来、頻繁にリムを料理に取り入れるようになったという。ノグチさんがケータリングするイベントには、リムを使った料理が少なくとも一品出てきて、沢山の美味しいリムの食べ方を教えてくれている。そんなリムが多くの家庭に並ぶためには、まずその数を増やさなくてはならない。
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