ホノルルの静かな丘の上にある佐山裕美子さんの茶室は、優美な書斎 のようだ。木々には鳥たちが甘い声でさえずり、茶室の障子からは朝日 が優しく差し込んでいる 。茶室の質素なインテリアと控えめな色合い が、心を落ち着かせてくれる。木で縁取られた無彩色の壁、水指や掛け 軸といった質素ながらも細部まで行き届いた美しさがそこにはある。佐 山さんの自宅の隣にあるアイロンウッドの森を吹き抜ける風も、ふもと の街へ吹き降りる前に束の間の休息を楽しんでいるようである。茶室で は全てが静けさに包まれる。
佐山さんは茶道の先生である。着物を着て、慎ましく美しい動作で 朝の茶会の準備をしている。日本人の修道僧が中国から持ち帰った点 茶の儀式は12世紀後半に始まったとされ、優雅さや調和や謹みに満ち た茶道は、禅仏教の瞑想を体現した優美な芸術に発展した。
佐山さんは木炭を炉の中に並べる。その燃えさしが灰の中で光って いる。手のひらにすっぽり入る大きさの茶碗と細長い柄杓、竹製の茶 筅。茶会の準備をする佐山さんは道具を一つ一つ慎重に丁寧に扱う。 抹茶を茶碗に入れる間、畳の上に座した客は和菓子を楽しんでいる。 茶碗に湯を注ぎ、茶筅で抹茶を点てる。舌に残った和菓子の甘さが、抹茶の苦味を和らげてくれる。佐山さんは、茶道は見た目に美しいものだ という。洗練された動作や質素な茶道具だけでなく、茶道の美しさは常 に相手を思いやる気持ちから生まれるのだという。
最初はためらっていた佐山さんが茶道を志すようになるまでには、 長い年月とマイルを費やした。東京の浅草で育った佐山さんは幼い頃、 モダンな洋服より和装や日本髪を好む町の女性たちのファッションに 好奇心を抱いた。近所の路地を優雅に歩く和装の女性たちに憧れの眼 差しを向けていた佐山さんは、着物を着れるようになった時、まるでお 姫様になったような特別な気分になったという。4年生になると髪を結 うようになり、日本髪が自分にしっくり合っていると感じたそうだ。佐山 さんは日本伝統の芸術を好み、10代後半には日本舞踊も学んだが、茶 道には魅力を感じなかった。佐山さんにとって、茶道は厳格で決まりが 多すぎる上、長時間の正座に耐えられないと思ったのだった。
31歳の頃、結婚してオアフ島に住んでいた佐山さんは、ハワイの熱 帯性気候に慣れつつあったものの、ふとした瞬間に母国の文化を恋し く思う自分がいたという。再び日本の文化に触れたいという思いから地 元の本願寺に電話をした。生け花か日本舞踊のレッスンはありますか? 電話に出た親切な女性が偶然にもその日の朝にお茶のレッスンがある と教えてくれた。それが運命を変える電話になるとは、この時の佐山さ んは知るよしもなかった。
レッスンに参加した佐山さんは驚いた。若い頃に想像していた格式張った茶会とは異なり、そこには温和で陽気な女性たちの集まりがあっ た。女性たちは茶道の作法について学びながら、連ドラや新しいレスト ランなどの話題を楽しんでいた。形式にこだわらないカジュアルなもの であったが、佐山さんはこの茶会を楽しみ、その後10年間にわたって定 期的に参加した。
佐山さんはお茶の先生の勧めで、日本の茶文化の中心である京都で のワークショップに通うことにした。そこで彼女は、リラックスした雰囲 気のハワイでのレッスンに比べ、はるかに格式の高いお茶の世界を経 験した。ワークショップの参加者のほとんどが茶道を始めて30年以上 の経験者であったこともあり、佐山さんは「本当に大変でした。私はまる っきり初心者だったことに気づかされました」と当時を振り返る。茶道 の厳しい教えに対する先入観に再び囚われつつあった佐山さんに先生 は、茶道は堅苦しいものではないと優しく教えてくれた。「型通りにしな くてはと思う必要はありません。茶道にこうしなければならないという 決まりはないのですから」。その言葉を聞いて佐山さんは悟った。茶道 はルールに従うことが大事なのではなく、瞑想的な動作を通して歓び を見つけることであるということを。佐山さんはその時のことを「宝箱を開けたような気分でした。一度基本を理解したらあとは自由でいいので す。自分が生まれ変わったような気持ちでした」と語る。
佐山さんは京都とホノルルで勉強を続けながら、茶道への理解を深 めていった。茶道を始めて25年が経った頃、佐山さんは最高の栄誉とも いえる、京都の有名な茶道の家元のもとで学ぶ機会と奨学金を得た。
「それは軍隊の強化合宿のようでした」と一年間におよぶ厳しい修 行について彼女は振り返る。まさに俗世間から隔離された隠遁生活で あった。佐山さんと4人の奨学金受賞者は、毎日着物を着なくてはなら なかった。学業と雑務が同等に与えられた。日の出とともに1日が始ま り、バスルーム、キッチン、庭園など、2時間かけて敷地を清掃する。朝 礼の後から丸一日授業を受け、夕食に清掃と続く。生徒たちは夜9時に やっと部屋に戻ることを許された。あれから3年たった今、佐山さんは当 時を振り返り、茶道の知識に奥行きと幅を与えてくれた経験に感謝して いるという。この体験により、趣味として始めた茶道とより深い精神的 な繋がりを持てるようになったのだった。
佐山さんは時に、テクノロジーが私たちの感覚を鈍らせていることに 脅威を感じるという。幸いなことに茶室はハイテクな世界を遮断してくれるので、客はゆったりと心を落ち着かせ、自分たちを取り巻く世界を 堪能することができる。四季のある日本では季節が茶道と深く結びつい ているが、佐山さんはハワイの自然にも独自の季節感があることに気づ いた「。ハワイでも移りゆく季節を感じてもらえるように工夫しています。 たとえば、いつもより明るく輝いている月や満開のシャワーツリーの花、 星を見上げたり、風を感じてもらうこともあります」。佐山さんの茶室は 訪れる者の心を癒し、リセットしてくれる。
茶室の中から客のお礼の挨拶が聞こえる。障子が開き、茶会は終わ った。青く広い空に太陽が輝いている。客は出発前に最後の深呼吸を する。
茶道は、佐山さんの心のあり方や将来の目標に大きな影響を与えて いる。「茶道は生涯をかけて学び続けるものです」と語る佐山裕美子さ んは、茶道との出会いを通して情熱を知り、その目的に気づき、自らの 歩むべき道を見つけたのだ。
サヤマさんの茶道教室について詳しくは chozen-ji.orgをご覧ください。
佐山裕美子さんは超禅寺で茶 道を教えている。
畳から茶器まで、茶道の道具は どれも美しく機能的だ。
茶道はルールに従うことが大事なのではなく、瞑想的な動作を通して歓びを見つけることであるということを。 佐山さんはその時のことを「宝箱を開けたような気分でした。一度基本を理解したらあとは自由でいいのです。 自分が生まれ変わったような気持ちでした」と語る。
佐山さんは、茶道では常に相手 を思いやる必要があるという。
佐山さんは京都の有名な家元 のもとで茶道についてより深く 学んだ。
自宅でプライベートな茶会を開 いている佐山さんは、カリヒヴ ァレーにある臨済宗の禅寺、超 禅寺でも茶道のクラスを開催 している。
ホノルルの静かな丘の上にある佐山裕美子さんの茶室は、優美な書斎 のようだ。木々には鳥たちが甘い声でさえずり、茶室の障子からは朝日 が優しく差し込んでいる 。茶室の質素なインテリアと控えめな色合い が、心を落ち着かせてくれる。木で縁取られた無彩色の壁、水指や掛け 軸といった質素ながらも細部まで行き届いた美しさがそこにはある。佐 山さんの自宅の隣にあるアイロンウッドの森を吹き抜ける風も、ふもと の街へ吹き降りる前に束の間の休息を楽しんでいるようである。茶室で は全てが静けさに包まれる。
佐山さんは茶道の先生である。着物を着て、慎ましく美しい動作で 朝の茶会の準備をしている。日本人の修道僧が中国から持ち帰った点 茶の儀式は12世紀後半に始まったとされ、優雅さや調和や謹みに満ち た茶道は、禅仏教の瞑想を体現した優美な芸術に発展した。
佐山さんは木炭を炉の中に並べる。その燃えさしが灰の中で光って いる。手のひらにすっぽり入る大きさの茶碗と細長い柄杓、竹製の茶 筅。茶会の準備をする佐山さんは道具を一つ一つ慎重に丁寧に扱う。 抹茶を茶碗に入れる間、畳の上に座した客は和菓子を楽しんでいる。 茶碗に湯を注ぎ、茶筅で抹茶を点てる。舌に残った和菓子の甘さが、抹茶の苦味を和らげてくれる。佐山さんは、茶道は見た目に美しいものだ という。洗練された動作や質素な茶道具だけでなく、茶道の美しさは常 に相手を思いやる気持ちから生まれるのだという。
最初はためらっていた佐山さんが茶道を志すようになるまでには、 長い年月とマイルを費やした。東京の浅草で育った佐山さんは幼い頃、 モダンな洋服より和装や日本髪を好む町の女性たちのファッションに 好奇心を抱いた。近所の路地を優雅に歩く和装の女性たちに憧れの眼 差しを向けていた佐山さんは、着物を着れるようになった時、まるでお 姫様になったような特別な気分になったという。4年生になると髪を結 うようになり、日本髪が自分にしっくり合っていると感じたそうだ。佐山 さんは日本伝統の芸術を好み、10代後半には日本舞踊も学んだが、茶 道には魅力を感じなかった。佐山さんにとって、茶道は厳格で決まりが 多すぎる上、長時間の正座に耐えられないと思ったのだった。
31歳の頃、結婚してオアフ島に住んでいた佐山さんは、ハワイの熱 帯性気候に慣れつつあったものの、ふとした瞬間に母国の文化を恋し く思う自分がいたという。再び日本の文化に触れたいという思いから地 元の本願寺に電話をした。生け花か日本舞踊のレッスンはありますか? 電話に出た親切な女性が偶然にもその日の朝にお茶のレッスンがある と教えてくれた。それが運命を変える電話になるとは、この時の佐山さ んは知るよしもなかった。
レッスンに参加した佐山さんは驚いた。若い頃に想像していた格式張った茶会とは異なり、そこには温和で陽気な女性たちの集まりがあっ た。女性たちは茶道の作法について学びながら、連ドラや新しいレスト ランなどの話題を楽しんでいた。形式にこだわらないカジュアルなもの であったが、佐山さんはこの茶会を楽しみ、その後10年間にわたって定 期的に参加した。
佐山さんはお茶の先生の勧めで、日本の茶文化の中心である京都で のワークショップに通うことにした。そこで彼女は、リラックスした雰囲 気のハワイでのレッスンに比べ、はるかに格式の高いお茶の世界を経 験した。ワークショップの参加者のほとんどが茶道を始めて30年以上 の経験者であったこともあり、佐山さんは「本当に大変でした。私はまる っきり初心者だったことに気づかされました」と当時を振り返る。茶道 の厳しい教えに対する先入観に再び囚われつつあった佐山さんに先生 は、茶道は堅苦しいものではないと優しく教えてくれた。「型通りにしな くてはと思う必要はありません。茶道にこうしなければならないという 決まりはないのですから」。その言葉を聞いて佐山さんは悟った。茶道 はルールに従うことが大事なのではなく、瞑想的な動作を通して歓び を見つけることであるということを。佐山さんはその時のことを「宝箱を開けたような気分でした。一度基本を理解したらあとは自由でいいので す。自分が生まれ変わったような気持ちでした」と語る。
佐山さんは京都とホノルルで勉強を続けながら、茶道への理解を深 めていった。茶道を始めて25年が経った頃、佐山さんは最高の栄誉とも いえる、京都の有名な茶道の家元のもとで学ぶ機会と奨学金を得た。
「それは軍隊の強化合宿のようでした」と一年間におよぶ厳しい修 行について彼女は振り返る。まさに俗世間から隔離された隠遁生活で あった。佐山さんと4人の奨学金受賞者は、毎日着物を着なくてはなら なかった。学業と雑務が同等に与えられた。日の出とともに1日が始ま り、バスルーム、キッチン、庭園など、2時間かけて敷地を清掃する。朝 礼の後から丸一日授業を受け、夕食に清掃と続く。生徒たちは夜9時に やっと部屋に戻ることを許された。あれから3年たった今、佐山さんは当 時を振り返り、茶道の知識に奥行きと幅を与えてくれた経験に感謝して いるという。この体験により、趣味として始めた茶道とより深い精神的 な繋がりを持てるようになったのだった。
佐山さんは時に、テクノロジーが私たちの感覚を鈍らせていることに 脅威を感じるという。幸いなことに茶室はハイテクな世界を遮断してくれるので、客はゆったりと心を落ち着かせ、自分たちを取り巻く世界を 堪能することができる。四季のある日本では季節が茶道と深く結びつい ているが、佐山さんはハワイの自然にも独自の季節感があることに気づ いた「。ハワイでも移りゆく季節を感じてもらえるように工夫しています。 たとえば、いつもより明るく輝いている月や満開のシャワーツリーの花、 星を見上げたり、風を感じてもらうこともあります」。佐山さんの茶室は 訪れる者の心を癒し、リセットしてくれる。
茶室の中から客のお礼の挨拶が聞こえる。障子が開き、茶会は終わ った。青く広い空に太陽が輝いている。客は出発前に最後の深呼吸を する。
茶道は、佐山さんの心のあり方や将来の目標に大きな影響を与えて いる。「茶道は生涯をかけて学び続けるものです」と語る佐山裕美子さ んは、茶道との出会いを通して情熱を知り、その目的に気づき、自らの 歩むべき道を見つけたのだ。
サヤマさんの茶道教室について詳しくは chozen-ji.orgをご覧ください。
佐山裕美子さんは超禅寺で茶 道を教えている。
畳から茶器まで、茶道の道具は どれも美しく機能的だ。
茶道はルールに従うことが大事なのではなく、瞑想的な動作を通して歓びを見つけることであるということを。 佐山さんはその時のことを「宝箱を開けたような気分でした。一度基本を理解したらあとは自由でいいのです。 自分が生まれ変わったような気持ちでした」と語る。
佐山さんは、茶道では常に相手 を思いやる必要があるという。
佐山さんは京都の有名な家元 のもとで茶道についてより深く 学んだ。
自宅でプライベートな茶会を開 いている佐山さんは、カリヒヴ ァレーにある臨済宗の禅寺、超 禅寺でも茶道のクラスを開催 している。
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