ジュリア・モーガンの不朽のオアシス

多くの傑作を残した20世紀を代表する女性建築家によるホノルルの魅力的な建物

=ティモシー・A・シュラー
写真
クリス・ローラー
資料写真提供
ロバート・E・ケネディ図書館

カフェの店内では、食事中の2人客や3人連れの客が、サラダやアヒのたたきが綺麗に盛り付けされた皿を前に、おしゃべりを楽しんでいる。店内を吹き抜けるそよ風にテーブルクロスがたなびき、大きなアーチ型の窓の外に揺れるヤシとプルメリアの木の葉の隙間からは、真昼の太陽が木漏れ日となって降り注いでいる。ホノルルのダウンタウンにあるキリスト教女子青年会 (YWCA)の建物の中とは思えない、活気がありながらも穏やかな空気に包まれた静寂さは、都会の喧騒から離れた閑静な別荘地で食事をしているような気分にさせてくれる。 リチャーズ通りから一本脇道を入ったところにあるレストラン「カフェジュリア」は、ハワイ州歴史保存課の元建築部門長のマイク・ガシャード氏が、“秘密の庭園のようだ”と賞賛するエレガントな中庭(ハワイで初めてライセンスを受けた造園家のキャサリン・トンプソン氏が設計)のある1920年代に建てられた歴史的建造物の中にある。「ここはいつでも静かで、ゆっくりと時間が流れています」と言うガシャード氏自身にとっても、このYWCAビルは、特別な思い入れのある場所だ。彼と彼のパートナーのオーランド氏は、昨年、この優雅でエレガントなロッジア(開廊)で式を挙げたという。 建設されてから約1世紀経った今も、都会のオアシスであり続けるこの建物は、店名の由来となっているアメリカ人建築家の巨匠、ジュリア・モーガン氏の優れた才能を物語っている。身長150センチ、45キロと小柄だった彼女は、生涯を通して、700以上の建物を完成させた。その数は有名な建築家のフランク・ロイド・ライト氏を上回るが、建築学者を除いて、カリフォルニア州外で彼女の名はあまり知られていない。 1872年にサンフランシスコで生まれたモーガン氏は、当時、世界有数の建築訓練プログラムであったパリの国立高等美術学校、エコール・デ・ボザールの建築プログラムで学んだ最初の女性で、カリフォルニア州でライセンスを取得した初の女性建築家だった。彼女は多くの建物の設計を手がけた有能な設計士であり建築家で、渡仏以前には、カリフォルニア大学バークレー校で工学を学んだ。 モーガン氏は、女性の社会的地位向上にも力を注いだ。建築家としてのキャリアを通して、カリフォルニア州モントレーにある歴史的なアジロマーのレトリートセンターをはじめ、YWCAのための建物の設計を数多く手がけた。またカリフォルニア州サンシメオンにあるウィリアム・ランドルフ・ハースト氏の「ラ・クエスタ・エンカンターダ」(魅惑の丘)と名付けられた広大な土地に、のちに“ハーストキャッスル”として知られるハースト氏の大豪邸を完成させたことでも有名だ。 モーガン氏がハワイに来るきっかけとなったのもやはりYWCAの仕事だった。1921年には、キング通りとアラパイ通りの角に、この団体の女性たちのための住まいを設計し(現在は取り壊されている)、その後の1927年に、イオラニ宮殿の向かいに、“広い空”を意味する「ラニアケア」という名の本部ビルを建設した。ハワイに現存するモーガン氏による建物は、このラニアケアと、1937年に建てられたヒロのホメラニ墓地にある地中海式の質素な納骨堂の2つのみだ。モーガン氏は、現場監督のエドワード・ハッシー氏から毎日船便で届く報告書をもとに、カリフォルニアからラニアケアの建設工事を指揮した。 ラニアケアの建築は、 建物正面のティーク製の扉に刻まれたハワイの花といった島らしいデザインがさりげなく取り入れられているものの、イタリアルネサンス調の支柱やプールサイドのムーア風の噴水といったモーガン氏がエコール・デ・ボザールで学んだ建築スタイルにあくまで忠実だ。ほぼ全面を鉄筋コンクリートに覆われたハワイで初の建物は、格式高くありつつも、心地よいデザインで、人の尊厳を尊重したモーガン氏らしい、快適に過ごしてほしいという願いが込められている。 ラニアケアの建物が傑作である所以は、建築されてから93年の歳月にも色あせない、その魅力と機能性だ。それはモーガン氏が設計したYWCAビルの中でも、ほとんど本来の姿のまま残っている数少ない建物の1つだ。YWCAの建築を通じて、女性の社会地位向上に尽くしたモーガン氏を偲ぶ場所として、これほどまでにふさわしい場所はあるまい。 ガシャード氏は、YWCAのような団体が社会に与える影響を測ることは難しいが、ラニアケアの建築が地元社会に果たしている役割は大きいという。「まさに建築の傑作と言えるでしょう。足を踏み入れるだけで、気分が変わるんです。90年にわたって私たちを特別な気持ちにさせ、人々が利用しやすいデザインとマニフェストを併せ持つ美しい空間が、社会にもたらす影響は計り知れません」。

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パリのエコール・デ・ボザールの建築プログラムで学んだモーガン氏の建築スタイルは、イタリアのルネッサンス様式の柱とプールサイドのムーア風の噴水などに現れている。

ジュリア・モーガン氏は、生涯のキャリアを通して、女性の自立を支援するYWCAのための建物を多数設計した。

ジュリア・モーガン氏が1925年に作成したYWCAのオリジナルの設計図。

ホノルルのダウンタウンにあるYWCAは、都会のオアシスのような1920年代建築を代表する歴史ある建物だ。現在、ここでは、建築家の名を冠したカフェジュリアで食事を楽しむことができる。

ジュリア・モーガンの不朽のオアシス

多くの傑作を残した20世紀を代表する女性建築家によるホノルルの魅力的な建物

=ティモシー・A・シュラー
写真
クリス・ローラー
資料写真提供
ロバート・E・ケネディ図書館

カフェの店内では、食事中の2人客や3人連れの客が、サラダやアヒのたたきが綺麗に盛り付けされた皿を前に、おしゃべりを楽しんでいる。店内を吹き抜けるそよ風にテーブルクロスがたなびき、大きなアーチ型の窓の外に揺れるヤシとプルメリアの木の葉の隙間からは、真昼の太陽が木漏れ日となって降り注いでいる。ホノルルのダウンタウンにあるキリスト教女子青年会 (YWCA)の建物の中とは思えない、活気がありながらも穏やかな空気に包まれた静寂さは、都会の喧騒から離れた閑静な別荘地で食事をしているような気分にさせてくれる。 リチャーズ通りから一本脇道を入ったところにあるレストラン「カフェジュリア」は、ハワイ州歴史保存課の元建築部門長のマイク・ガシャード氏が、“秘密の庭園のようだ”と賞賛するエレガントな中庭(ハワイで初めてライセンスを受けた造園家のキャサリン・トンプソン氏が設計)のある1920年代に建てられた歴史的建造物の中にある。「ここはいつでも静かで、ゆっくりと時間が流れています」と言うガシャード氏自身にとっても、このYWCAビルは、特別な思い入れのある場所だ。彼と彼のパートナーのオーランド氏は、昨年、この優雅でエレガントなロッジア(開廊)で式を挙げたという。 建設されてから約1世紀経った今も、都会のオアシスであり続けるこの建物は、店名の由来となっているアメリカ人建築家の巨匠、ジュリア・モーガン氏の優れた才能を物語っている。身長150センチ、45キロと小柄だった彼女は、生涯を通して、700以上の建物を完成させた。その数は有名な建築家のフランク・ロイド・ライト氏を上回るが、建築学者を除いて、カリフォルニア州外で彼女の名はあまり知られていない。 1872年にサンフランシスコで生まれたモーガン氏は、当時、世界有数の建築訓練プログラムであったパリの国立高等美術学校、エコール・デ・ボザールの建築プログラムで学んだ最初の女性で、カリフォルニア州でライセンスを取得した初の女性建築家だった。彼女は多くの建物の設計を手がけた有能な設計士であり建築家で、渡仏以前には、カリフォルニア大学バークレー校で工学を学んだ。 モーガン氏は、女性の社会的地位向上にも力を注いだ。建築家としてのキャリアを通して、カリフォルニア州モントレーにある歴史的なアジロマーのレトリートセンターをはじめ、YWCAのための建物の設計を数多く手がけた。またカリフォルニア州サンシメオンにあるウィリアム・ランドルフ・ハースト氏の「ラ・クエスタ・エンカンターダ」(魅惑の丘)と名付けられた広大な土地に、のちに“ハーストキャッスル”として知られるハースト氏の大豪邸を完成させたことでも有名だ。 モーガン氏がハワイに来るきっかけとなったのもやはりYWCAの仕事だった。1921年には、キング通りとアラパイ通りの角に、この団体の女性たちのための住まいを設計し(現在は取り壊されている)、その後の1927年に、イオラニ宮殿の向かいに、“広い空”を意味する「ラニアケア」という名の本部ビルを建設した。ハワイに現存するモーガン氏による建物は、このラニアケアと、1937年に建てられたヒロのホメラニ墓地にある地中海式の質素な納骨堂の2つのみだ。モーガン氏は、現場監督のエドワード・ハッシー氏から毎日船便で届く報告書をもとに、カリフォルニアからラニアケアの建設工事を指揮した。 ラニアケアの建築は、 建物正面のティーク製の扉に刻まれたハワイの花といった島らしいデザインがさりげなく取り入れられているものの、イタリアルネサンス調の支柱やプールサイドのムーア風の噴水といったモーガン氏がエコール・デ・ボザールで学んだ建築スタイルにあくまで忠実だ。ほぼ全面を鉄筋コンクリートに覆われたハワイで初の建物は、格式高くありつつも、心地よいデザインで、人の尊厳を尊重したモーガン氏らしい、快適に過ごしてほしいという願いが込められている。 ラニアケアの建物が傑作である所以は、建築されてから93年の歳月にも色あせない、その魅力と機能性だ。それはモーガン氏が設計したYWCAビルの中でも、ほとんど本来の姿のまま残っている数少ない建物の1つだ。YWCAの建築を通じて、女性の社会地位向上に尽くしたモーガン氏を偲ぶ場所として、これほどまでにふさわしい場所はあるまい。 ガシャード氏は、YWCAのような団体が社会に与える影響を測ることは難しいが、ラニアケアの建築が地元社会に果たしている役割は大きいという。「まさに建築の傑作と言えるでしょう。足を踏み入れるだけで、気分が変わるんです。90年にわたって私たちを特別な気持ちにさせ、人々が利用しやすいデザインとマニフェストを併せ持つ美しい空間が、社会にもたらす影響は計り知れません」。

パリのエコール・デ・ボザールの建築プログラムで学んだモーガン氏の建築スタイルは、イタリアのルネッサンス様式の柱とプールサイドのムーア風の噴水などに現れている。

ジュリア・モーガン氏は、生涯のキャリアを通して、女性の自立を支援するYWCAのための建物を多数設計した。

ジュリア・モーガン氏が1925年に作成したYWCAのオリジナルの設計図。

ホノルルのダウンタウンにあるYWCAは、都会のオアシスのような1920年代建築を代表する歴史ある建物だ。現在、ここでは、建築家の名を冠したカフェジュリアで食事を楽しむことができる。

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