「豪華なピアノの置かれたラウンジは居心地が良くて、ジャズにぴったりの素敵な空間だったわ」。2012年にハレクラニのルワーズ ラウンジに初めて足を踏み入れたマギー・ヘロンさんは、その時の感動をこう語る。ラナイ島とハワイ島でジャズアーティストとして活躍していたヘロンさんは、オアフ島で演奏しないかという友人の誘いでホノルルへやってきた。「ここで三夜にわたって演奏したの。最高な気分だったわ」。
その後、ラウンジから週に数回の演奏を依頼され、 ヘロンさんはそのオファーを喜んで受け入れた。そして今に至るまで独特の美しい歌声と魅力的な演奏スタイルでハレクラニの観客を魅了し続けている。 ラウンジの外でも忙しい毎日を過ごす彼女は、幼い頃から作詞作曲を手がける。ホノルルに引っ越してからは、オアフ島で活躍する多才なミュージシャンたちと仕事する機会を得て、再びレコーディングスタジオに通い、複数の楽器を一人で演奏するオリジナル曲の録音にも取り組んでいる。
「音楽を演奏することが大好きなの。素晴らしいミュージシャンたちとの共演を何よりも楽しんでいるわ」。 ヘロンさんは、2枚のアルバム『Between the Music and the Moon』と『Good Thing』で、そ れぞれ2017年と2015年にナ・ホク・ハノハノ賞の最優秀ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞し、成功を収めている。今年リリースしたジャズアルバムの『A Ton of Trouble』では、3度目のナ・ホク・ハノハノ賞に輝き、一層注目を集めている。
ミシガン州で育ったヘロンさんは、幼少期にピアノを始めた。彼女の母親は、12人兄弟全員に少なくとも1年間はピアノレッスンを受けさせるほど音楽教育に熱心だった。「4歳か5歳の頃から、家で毎日ピアノの演奏を聞いていたわ。10歳でミュージシャンになりたいと思った時から、私の将来は決まっていたの。以来、その気持ちが揺らぐことはなく、それ以外の道を考えたことも、迷ったこともないわ」。
70年代初頭、ミシガン州を離れたヘロンさんは、米国内をヒッチハイクで横断して太平洋岸北西部へと渡り、最終的にハワイに辿り着いた。ハワイ島では主にポップスやソフトロックを、ラナイ島ではジャズのスタンダードを演奏した。その後、ホノルルに移住し、ハレクラニのルワーズ ラウンジの専属ミュージシャンとして現在に至る。ヘロンさんは初めてピアノに触れた日からこれまでの人生を通して、ピアノという楽器と音楽、ミュージシャンという仕事を愛し続けている。
ジャズについて
「いつだって難しい音楽に挑戦してきたわ。ポップミュージックでは物足りなくってね。ジャズを聴き始めたのだけど、最初は好きになれなかった。曲の中で何が起こっているのか分からず、まず耳を鍛える必要があ ったの。何度繰り返し聞いても、ジャズという音楽を理解できなくて、悶 々とする日々を過ごしたわ。それまでジャズについて勉強したことも、レ ッスンを受けたこともなかったから。それでも聞けば聞くほど、どんどん惹かれていって、ジャズしか耳に入らなくなったの」。
観客について
「私にとって音楽は一つの言語で、曲の中の感情を観客に感じてもらいたくて歌っているの。時に刺激的で、ユーモラスに溢れ、不躾だったり、意外性に満ちていたり、好奇心をそそる。そんな音楽を通して、日頃抱えているものや日常を忘れ、私たちと一緒に音楽の旅に出てほしい。そのためには、観客をよく観察して、彼らに合わせることがとても大切。観客と私は、お互いに影響し合っているのよ」。
アーティストとの共演
「他のアーティストと共演すると、相互にアイデアを出し合うことができるわ。全て即興で演奏するのが、ジャズ特有のスタイル。即興演奏をするたびに、これまでと違う何かや新しいことを試すことができて、お互いの演奏を聞いて、自然の流れに合わせていくと、新しい音楽が生まれるの。それは素晴らしいプロセスよ」。
独自のスタイル
「和音や変化和音、フラットナインス、シャープイレブンスみたいに、私が出す音はどれも独自の音。 正式なジャズのトレーニングを受けたことがないから、ひたすら聞き込んだ音楽から独学で覚えたものよ。私は自分のことを不協和ではなく旋律的なプレイヤーだと考えていてね。誰の耳にも聴きやすい音楽を演奏するのは、ロマンチックな作曲家が大好きで、クラシック音楽の訓練を受けてきたせいかもしれないわね」。
ヘロンさんは、子供の頃からピアノを弾いていた。
ヘロンさんは、毎週水曜と木曜にハレクラニで演奏している。
ヘロンさんは、ハレクラニでの演奏は心が落ち着くという。
「豪華なピアノの置かれたラウンジは居心地が良くて、ジャズにぴったりの素敵な空間だったわ」。2012年にハレクラニのルワーズ ラウンジに初めて足を踏み入れたマギー・ヘロンさんは、その時の感動をこう語る。ラナイ島とハワイ島でジャズアーティストとして活躍していたヘロンさんは、オアフ島で演奏しないかという友人の誘いでホノルルへやってきた。「ここで三夜にわたって演奏したの。最高な気分だったわ」。
その後、ラウンジから週に数回の演奏を依頼され、 ヘロンさんはそのオファーを喜んで受け入れた。そして今に至るまで独特の美しい歌声と魅力的な演奏スタイルでハレクラニの観客を魅了し続けている。 ラウンジの外でも忙しい毎日を過ごす彼女は、幼い頃から作詞作曲を手がける。ホノルルに引っ越してからは、オアフ島で活躍する多才なミュージシャンたちと仕事する機会を得て、再びレコーディングスタジオに通い、複数の楽器を一人で演奏するオリジナル曲の録音にも取り組んでいる。
「音楽を演奏することが大好きなの。素晴らしいミュージシャンたちとの共演を何よりも楽しんでいるわ」。 ヘロンさんは、2枚のアルバム『Between the Music and the Moon』と『Good Thing』で、そ れぞれ2017年と2015年にナ・ホク・ハノハノ賞の最優秀ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞し、成功を収めている。今年リリースしたジャズアルバムの『A Ton of Trouble』では、3度目のナ・ホク・ハノハノ賞に輝き、一層注目を集めている。
ミシガン州で育ったヘロンさんは、幼少期にピアノを始めた。彼女の母親は、12人兄弟全員に少なくとも1年間はピアノレッスンを受けさせるほど音楽教育に熱心だった。「4歳か5歳の頃から、家で毎日ピアノの演奏を聞いていたわ。10歳でミュージシャンになりたいと思った時から、私の将来は決まっていたの。以来、その気持ちが揺らぐことはなく、それ以外の道を考えたことも、迷ったこともないわ」。
70年代初頭、ミシガン州を離れたヘロンさんは、米国内をヒッチハイクで横断して太平洋岸北西部へと渡り、最終的にハワイに辿り着いた。ハワイ島では主にポップスやソフトロックを、ラナイ島ではジャズのスタンダードを演奏した。その後、ホノルルに移住し、ハレクラニのルワーズ ラウンジの専属ミュージシャンとして現在に至る。ヘロンさんは初めてピアノに触れた日からこれまでの人生を通して、ピアノという楽器と音楽、ミュージシャンという仕事を愛し続けている。
ジャズについて
「いつだって難しい音楽に挑戦してきたわ。ポップミュージックでは物足りなくってね。ジャズを聴き始めたのだけど、最初は好きになれなかった。曲の中で何が起こっているのか分からず、まず耳を鍛える必要があ ったの。何度繰り返し聞いても、ジャズという音楽を理解できなくて、悶 々とする日々を過ごしたわ。それまでジャズについて勉強したことも、レ ッスンを受けたこともなかったから。それでも聞けば聞くほど、どんどん惹かれていって、ジャズしか耳に入らなくなったの」。
観客について
「私にとって音楽は一つの言語で、曲の中の感情を観客に感じてもらいたくて歌っているの。時に刺激的で、ユーモラスに溢れ、不躾だったり、意外性に満ちていたり、好奇心をそそる。そんな音楽を通して、日頃抱えているものや日常を忘れ、私たちと一緒に音楽の旅に出てほしい。そのためには、観客をよく観察して、彼らに合わせることがとても大切。観客と私は、お互いに影響し合っているのよ」。
アーティストとの共演
「他のアーティストと共演すると、相互にアイデアを出し合うことができるわ。全て即興で演奏するのが、ジャズ特有のスタイル。即興演奏をするたびに、これまでと違う何かや新しいことを試すことができて、お互いの演奏を聞いて、自然の流れに合わせていくと、新しい音楽が生まれるの。それは素晴らしいプロセスよ」。
独自のスタイル
「和音や変化和音、フラットナインス、シャープイレブンスみたいに、私が出す音はどれも独自の音。 正式なジャズのトレーニングを受けたことがないから、ひたすら聞き込んだ音楽から独学で覚えたものよ。私は自分のことを不協和ではなく旋律的なプレイヤーだと考えていてね。誰の耳にも聴きやすい音楽を演奏するのは、ロマンチックな作曲家が大好きで、クラシック音楽の訓練を受けてきたせいかもしれないわね」。
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