1962年に475冊のみ出版された小説家ジェームズ・ミッチェナーさんの『現代日本版画:感謝』は、一冊ずつ丁寧に「創作版画」の印が押された質素な外箱に入っている。 手作りの局紙を使ったページに3色の上等な麻布の装丁が施され、表紙と背表紙に金箔の文字が刻印されたこの初版は、本そのものが中身の10枚のサイン入り版画と同じくらい価値のある芸術作品に仕上がっている。
1962年当時、すでに国際的に有名な小説家であったミッチェナ ーさんは、『南太平洋物語』でピューリッツァー賞を受賞し、その本をもとにした『南太平洋』というミュージカルや映画も製作された。1959年出版の小説『ハワイ』は、島の歴史と人々の記録を何千ページにもわたって綴ったベストセラーだ。
そんなミッチェナーさんが日本の版画に関心を持ち、版画の収集を始めたのは1950年代。版画を題材にした本を3冊執筆するほどの熱心な収集家であった。1954年に執筆した『ザ・フローティングワ ールド』では、江戸時代(1603年~1867年)の浮世絵の成長と衰退を分析し、その5年後には、日本の伝統芸術を20世紀の現代的なアプローチで研究した『日本の版画:初期の巨匠から現代まで』を発表。3冊目の『現代日本版画』では、西洋の影響を受けた創作版画の魅力をアメリカ人に向けてわかりやすく解説している。
ホノルル美術館で学芸員を務めるスティーブン・サレル氏は、「 ミッチェナー氏は以前、この美術館で創作版画について講義をしていました」といい、室温が一定に保たれた収蔵庫で、いくつかの創作版画作品を並べて見せてくれた。その一つが、『萩原朔太郎像』と題された恩地孝四郎氏の肖像版画で、深い皺だらけの作家が虚空に目を据えている作品だ。恩地孝四郎氏をはじめとする創作版画家は、浮世絵やのちの20世紀に「新浮世絵」と呼ばれた新版画といった伝統的な版画の特徴であり、制約ともなっていた日本の日常生活の現実的な描写を避け、代わりに自己表現や主観、親密さといったものを尊重した。
サレル氏は、創作版画は、芸術家たちの美的感覚と版画制作における独立性を重視するのだと教えてくれた。創作版画の芸術家は原則として、作品の唯一の創作者であり、制作の全工程を一人で請け負 っていた。「制作費の募金活動からデザイン、彫刻、印刷に至るまで、全てをアーティスト自身が行っていたのです」。それは出版社が職人、デザイナー、彫刻家、印刷者、アシスタントからなるチームを集めて印刷物を制作する従来のワークショップ方式の新版画や浮世絵とは対照的であった。新版画は、創作版画と時を同じくして、浮世絵の伝統を汲んでいた。
サレル氏が見せてくれたもう1つの創作版画の作品は、ミッチェナーさんの長年の友人である平塚運一氏による『ジェームズ・アルバ ート・ミッチェナーの肖像』だ。ハイコントラストの白黒印刷は、遊び心に溢れ、作者の内面を映し出している。4枚の版画が飾られた壁の前に座ったミッチェナーさんの横顔を描いたもので、そのうちの1枚に、平塚氏の古い作品である文楽人形八百屋お七の複製が描かれたミッチェナーさんへの親しみが滲み出る作品である。恩地孝四郎氏の肖像と同じく、平塚氏の描く肖像画は私的だが、モデルの表情は明るい。それは創作版画と他の日本の版画スタイルがいかに密接な関係にあるかを表している。
ミッチェナーさんは、日本の木版画の伝統について書いた本の中で「日本の版画ほど面白いものはない」と書き残している。「あらゆる芸術手法の中でも最も素晴らしいものの一つだ。多彩な色で描かれた題材は機知に富み、その魅力は無限大である」。
作家の萩原朔太郎氏の肖像画、恩地孝四郎 (1891‒1955)、日本、1943年。木版、紙、インクとカラー。 1991年ジェームズ・A・ミッチェナー寄贈。
プルトンヌ、山本鼎(1882-1946)、日本、1920年。木版、紙、インクとカラー。1991年ジェームズ・A・ミッチェナー寄贈。
あるヴァイオリニストの印象 (諏訪根自子像)、恩地孝四郎(1891‒1955)、日本、1960年頃。木版、紙、インクとカラー。 1991年ジェームズ・A・ミッチェナー寄贈。
ハワイの山脈のある景色、棟方志功 (1903‒1975)、日本、1960年頃。木版、紙、インクとカラー。1991年ロバート・M・ブラウン博士夫妻寄贈。
ジェームズ・アルバート・ミッチェ ナーの肖像、平塚運一 (1895‒ 1997)、日本、1957年。木版、紙、 インクとカラー。1991年ジェーム ズ・A・ミッチェナー寄贈。
1962年に475冊のみ出版された小説家ジェームズ・ミッチェナーさんの『現代日本版画:感謝』は、一冊ずつ丁寧に「創作版画」の印が押された質素な外箱に入っている。 手作りの局紙を使ったページに3色の上等な麻布の装丁が施され、表紙と背表紙に金箔の文字が刻印されたこの初版は、本そのものが中身の10枚のサイン入り版画と同じくらい価値のある芸術作品に仕上がっている。
1962年当時、すでに国際的に有名な小説家であったミッチェナ ーさんは、『南太平洋物語』でピューリッツァー賞を受賞し、その本をもとにした『南太平洋』というミュージカルや映画も製作された。1959年出版の小説『ハワイ』は、島の歴史と人々の記録を何千ページにもわたって綴ったベストセラーだ。
そんなミッチェナーさんが日本の版画に関心を持ち、版画の収集を始めたのは1950年代。版画を題材にした本を3冊執筆するほどの熱心な収集家であった。1954年に執筆した『ザ・フローティングワ ールド』では、江戸時代(1603年~1867年)の浮世絵の成長と衰退を分析し、その5年後には、日本の伝統芸術を20世紀の現代的なアプローチで研究した『日本の版画:初期の巨匠から現代まで』を発表。3冊目の『現代日本版画』では、西洋の影響を受けた創作版画の魅力をアメリカ人に向けてわかりやすく解説している。
ホノルル美術館で学芸員を務めるスティーブン・サレル氏は、「 ミッチェナー氏は以前、この美術館で創作版画について講義をしていました」といい、室温が一定に保たれた収蔵庫で、いくつかの創作版画作品を並べて見せてくれた。その一つが、『萩原朔太郎像』と題された恩地孝四郎氏の肖像版画で、深い皺だらけの作家が虚空に目を据えている作品だ。恩地孝四郎氏をはじめとする創作版画家は、浮世絵やのちの20世紀に「新浮世絵」と呼ばれた新版画といった伝統的な版画の特徴であり、制約ともなっていた日本の日常生活の現実的な描写を避け、代わりに自己表現や主観、親密さといったものを尊重した。
サレル氏は、創作版画は、芸術家たちの美的感覚と版画制作における独立性を重視するのだと教えてくれた。創作版画の芸術家は原則として、作品の唯一の創作者であり、制作の全工程を一人で請け負 っていた。「制作費の募金活動からデザイン、彫刻、印刷に至るまで、全てをアーティスト自身が行っていたのです」。それは出版社が職人、デザイナー、彫刻家、印刷者、アシスタントからなるチームを集めて印刷物を制作する従来のワークショップ方式の新版画や浮世絵とは対照的であった。新版画は、 創作版画と時を同じくして、浮世絵の伝統を汲んでいた。
サレル氏が見せてくれたもう1つの創作版画の作品は、ミッチェナーさんの長年の友人である平塚運一氏による『ジェームズ・アルバ ート・ミッチェナーの肖像』だ。ハイコントラストの白黒印刷は、遊び心に溢れ、作者の内面を映し出している。4枚の版画が飾られた壁の前に座ったミッチェナーさんの横顔を描いたもので、そのうちの1枚に、平塚氏の古い作品である文楽人形八百屋お七の複製が描かれたミッチェナーさんへの親しみが滲み出る作品である。恩地孝四郎氏の肖像と同じく、平塚氏の描く肖像画は私的だが、モデルの表情は明るい。それは創作版画と他の日本の版画スタイルがいかに密接な関係にあるかを表している。
ミッチェナーさんは、日本の木版画の伝統について書いた本の中で「日本の版画ほど面白いものはない」と書き残している。「あらゆる芸術手法の中でも最も素晴らしいものの一つだ。多彩な色で描かれた題材は機知に富み、その魅力は無限大である」。
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